殺生の儀式

今からこの猪を絞める。

生き物から肉へと変わる瞬間をどうしても自分の目で見たかった。

小さな檻に入れた猪にワイヤーを噛ませ頭を固定させる。

槍のような大きなナイフで心臓めがけて一突き。

これは熟練技だ。

猪は暴れわめくことなく、すーと息をひきとる。

それはまるで静寂の中で行われた儀式のようだ。

暴れて抵抗する猪を男衆が必死で抑えながら殺める姿を僕は想像していた。

これなら肉へのストレスもない。

手際よく内蔵を出す。

まだあったかい内蔵を流水で冷やす。

パーツごとに分けながらきれいに洗い流していく。

と簡単に言うが、これが結構大変。なかでも、

大腸に入っているうんこを出す作業がなかなか難しい。

悪戦苦闘しながら僕も身にしみて内蔵の大変さが分かった。

「内蔵は安く手に入るが手間ひまがかかる。」という本当の意味が分かった。

こうなれば肉にしか見えない。

さっきまで動いていたのに。なんか不思議。

猪を育てている山本さん夫婦。

いつ行っても温かく迎えてくれる。

お昼ご飯までごちそうになっちゃった。

で、僕の結論。

野生のものより断然うまいし、確か。

ジビエは本当に信頼できる猟師が近くにいないと無理。

仮にそんな腕のいい猟師がいたとしても内蔵は食べることができない。

 

だから僕は、レストランとして確実性のある山本さんが育てた猪を選ぶ。

 

 

山本さんの人柄が好きってのもある。

 

 

 

 

 

 

 

故郷

先週、全国ニュースで諏訪湖が映った。

4年ぶりの御神渡り出現に、僕を含め諏訪の人たちもほっとしたところだ。

寒いのは嫌だね、と言いながら諏訪湖が全面凍ることを期待する。

どんなに寒くてもみんなこの地が好きなんだ。

明子もそうだ。

「寒いのは本当に嫌。こたつに一日中埋もれていたい。」と言う。

でも、この前東京から来たお客さんが、

「やっぱり諏訪は寒いね。」と明子に言うと、

「今日なんてまだましですよ、昨日の夜は−12℃だったんですよ。」

と、ちょぴり誇らしげに言う。

諏訪の人はそんな気質である。

でもちょっとうらやましい。

そう思える生まれ育った場所があるのは。

 

 

下諏訪を夜中の12時に出発して着いたのは朝の8時。

向かった先は宮城県の南三陸町。

この日は本当に寒かった。

月一回開かれる福興市で僕らはパスタ入りミネストローネを売った。

で、その収益を現地に置いてくるという仕組み。

お金の流れができる。それを復興の予算に充てる。

あの日からもうすぐ一年が経とうとしているのに、ここは時が止まっていた。

自分の目で見て何を思うのだろう?どんな感情が湧いてくるのだろう?

と現地を見る前は考えていた。

でも実際、この光景を目の前にしても不思議と落ち着いた冷静な感情だった。

たぶんそれは、あまりにもスケールがでかすぎて自分がこの現実をうまく飲み込めることができなくて、頭の中が停止した状態だったと思う。

それが素直な僕の感想だった。

原さんをはじめ、僕らをこの場所に連れて来てくれたみんな、ありがとう。

またみんなと遠征したい。

 

僕はこの光景を自分の心の中に焼き付けた。

だから、何年経っても忘れない。