諏訪湖の畔にある銀杏の木が悲しい姿で立っていた。
明らかに剪定ではない。
諏訪湖の花火を見易くするためか、ワカサギを食べる鳥たちの巣を作らせないためか。
どちらにしても人間の利のため。
この木を植えた当時の人たちの思いを察すると、あまりにも悲しい。
何かがずれ始めている。
人間にとって何が一番大切かを見失っている。
利権がすべてのこの世の中に、疑問を感じる。
じゃあ、この世の中がよくなる薬はあるのか?
僕はあると思う。
それは、価値感の転換。
今、その真意を問われている気がする。
そして、その答えを出す時にきている。
覚悟を決めて声を出す時にきている。