見つめ直す

先日、河口湖のイタリアン、CASA OSANOへ足を伸ばした。

ここは計画停電の地域で、先の見えない不安を、僕らは小佐野夫婦から聞いていた。

だから、長野と山梨とでは明らかに状況が違うし、心境が違う。

河口湖の町は静まり返っているという。

小佐野さんは言っていた。

こんな時だからこそ気づいたことがある。

それは、お客さんを迎え入れる気持ち。

「来てくれて、本当にありがとう。」という一番シンプルな気持ち。

改めて、そう思えるようになったという。

忙しいと、こんな当たり前の事が薄れてしまう。

見えなくなってしまう。

だから忙しい時ほど、気をつけなくてはいけない。

肝に銘じなくてはいけない。

一足お先にと甲府の桃と桜は花を咲かせた。

毎年、何があっても必ず花を咲かせる。

今年の桃や桜は何だか逞しく見える。

僕もこの花のように、心強く生きる。

 

 

 

イタリアに学ぶ

僕らは今一度、原発(エネルギー)を考え直す必要がある。

どこまでエネルギーを落とすか。

どれだけ電気を使わない生活をすればよいのか。

 

僕はイタリアにその答えを見た。

イタリアは、まず街灯が暗い。家の中の灯りも暗いし、暖をとるのはオイルヒーター。

お店も昼休みには店を閉める。(レストラン以外) 

派手な看板もなければ、24時間営業の店もない。

 

国民性も日本と違う。

古いもの長く大事に使う国民でもある。

家にしろ、車にしろ、家具にしろ、食器にしろ、長く愛す。

そうそう新しいものには飛びつかない。

 

料理を見ても実に無駄がない。

昨日残った豚肉の煮込みを、次の日パスタのソースにしたり。

 

つまり、エネルギーをそれ程多く使わない生き方を自然と実行している。

今風に言えば、エコな生き方。

 

イタリアと日本とでは同じ先進国でもここまで違う。

勿論、経済だって成り立っているし、むしろ人間の幸福度は、イタリアの方が上かもしれない。

いろんな意味でイタリアに学ぶところは多い。

僕は今、日本は大きな転換期だと考える。

便利なもの、効率的なもの、生産性の高いもの、低コストなもの、合理的なもの。

もうこれらは、日本に必要ない。

「進歩を止め後退しろ」と言いたいのではない。

「価値の転換」が必要だと言いたい。

今まで常識化していた価値観を変える。

国も、地方も、政治も、企業も、日本人ひとりひとりも。

 

すべて、、、、

 

 

 

春の使者

数少ない日本原産の野菜(山菜)

その年一番早く登場する山菜。

それが、ふきのとう。

フキの花のつぼみ。黄色の花が雄株、白色の方が雌株。

あっという間に20cm程茎が伸びて花を咲かせる。

その後、遅れて地下茎でつながってる葉がでてくる。

それが成長してフキになる。

信州だと自生のフキの旬は6月頃になる。

やわらかく、筋が少なく、食べ易い。

山菜すべてに言えるが、雪深い所の方がやわらかく、香りがよい。

春が短いからだと思う。

ふきのとうの苦み、山菜の苦みは、

冬に蓄えてしまった脂肪、老廃物を洗い流す。

昔から日本人は、春になると口にした。

春に山菜が食べたくなるのは自然なこと。

理屈じゃない。

 

地のもの、旬のもの、自生のもの。

それを自分の感覚として

「鈍ってはいけないもの」だと思っている。

 

料理人として、いや日本人として、、、